

6月2日〜4日にシンガポールで開催された「NRF APAC 2026」。今年は、年初のニューヨーク開催時と同じテーマ「The Next Now」のもと、3日間で60〜70セッションや300社以上の展示が行われ、70ヶ国以上の国や地域から過去最大となる約1万人が参加しました。
今回は、昨年に続いて2度目の参加となった、ビジネス開発部 部長の根津スティーブン遥に、イベントの模様を聞きました。
AIとリテールメディアが不可分に
―「NRF APAC 2026」に参加した所感は?
一番強く感じたのは、APACという市場が非常に多様性に富んでいるということです。シンガポール、香港、オーストラリア、日本・・・それぞれで市場環境も消費者の感覚も商習慣もまったく違う。だからこそ、「APACではこれが正解です」ではなく、「それぞれの地域の事情に合わせて、どう実装していくかを考えましょう」というトーンが会場全体に漂っていました。
そして、その多様な文脈の中で共通して語られていたのが「AI」です。昨年はAIがテーマの一部だったものが、今年はすべてのセッションにAIが絡んでくる、そういう大きなテーマになっていました。
―昨年との比較で、AIの扱われ方はどう変わりましたか。
昨年は「AIを使わないと取り残される」という危機感のトーンが強かった印象ですが、今年は少し変わっていて、「選択肢が多すぎて何を選べばいいか分からない」という具体的な課題に変わってきている、という話が出ていました。ただ、結論としては「考えすぎて止まるのではなく、まず始めてみる」「学習を早く回すことが大事」というメッセージが強かったですね。
フィジカルの部分、例えば電子タグやカメラといった技術に関しては、昨年と比べて大きく変わっていなかったのですが、そこにAIが絡むことで「進化しました」というコミュニケーションが多かった印象です。

―AIと切り離せないテーマとして、リテールメディアの話も多かったそうですね。
そうですね。今年感じた大きな変化は、リテールメディアの語られ方がかなり広がったことです。従来は「いかに購買直前の売上を押し上げるか」という文脈で語られることが多かったのですが、今年は認知から興味関心、比較検討、購買まで含めた、フルファネルのマーケティング基盤として捉えられ始めていました。
購買データをベースに、メーカー様など広告主と対等なパートナーシップを組んでいく流れも強くなっていて、単発の販促施策で終わるのではなく、共通のKPIを持って四半期ごとに進捗を見ながら一緒に事業を伸ばしていく、そういう動きが出てきている点は参考になりました。
「効率化の先に人がいる」—資生堂とLVMHが示したこと
―特に印象に残った講演はありましたか。
資生堂様のセッションです。AIやデジタルの活用が進む中で、同社がこれまで大切にしてきた「人による接客」や「ブランド体験」を、デジタル上でどう届けていくのかという内容でした。
セッション中、中田CEOが「AIやデータ活用、デジタルコマースはもちろん重要だが、資生堂として絶対に忘れてはいけないのは、人々の生活を豊かにすることだ」と仰っていました。その瞬間、一緒に聴講していた海外の方々も大きくうなずきながらメモを取っており、会場の熱量が高まったのを感じました。テクノロジーを前面に出すのではなく、その先にいるお客様の気持ちや体験を中心に置いている点が、とても資生堂様らしいなと思います。
今回のNRF APACはAIに関するセッションが非常に多く、ともすると「どうAIを使うか」という手段の話になりがちでした。しかし、同社のセッションは「そもそもAIを何のために使うのか」という原点に立ち戻らせてくれるものでした。
特に印象的だったのが、ビューティーコンサルタントを単なる販売員ではなく、ブランドの価値を届ける「アンバサダー」として位置付けているというお話です。これはリアル店舗の接客をそのままデジタルに置き換えたのではありません。試行錯誤を繰り返しながら、「デジタルだからこそできる体験」へとアップデートさせていった点に、同社の強みがあると感じました。

―他に印象的だったセッションは?
LVMH様のセッションでも、人とのコミュニケーションこそが大事だという話がありました。「人間のつながりそのものがラグジュアリーである」という考え方です。日本だとあまりない視点というか、それが逆に刺さりました。
そこにAPACやアジアならではの文化的な特徴も重なってくるんですよね。展示会でも、人とのつながりをビジネスにおいて大事にする空気感がある。それがアジアの特徴なんだなと改めて感じました。
―テクノロジー系のセッションはいかがでしたか?
Google社のセッションでは、エージェンティックコマースがテーマで、どれだけ効率化できるかという内容が中心でしたね。一方で、他の登壇者たちはその基盤の上にどうやって自分たちの事業の強みを乗せていくか、という話が多かった印象です。
Google社が土台を提示して、小売様やメーカー様がその上でいかに自分たちらしさを発揮するか、という構図が今年のNRF APACを象徴していたかもしれません。
海外事例に見る、新たな店舗施策
―海外の先進事例で、特に記憶に残ったものはありますか。
ウォルマート社の事例が良かったです。APACのセッションで直接語られたわけではなく、他のセッションで比較として挙げられた話なのですが。
ウォールマートの店舗では、スタッフが「Ask Me Anything」と書かれたTシャツを着て、品出しをしている方がいるそうです。その方は、いつどの商品を補充するか、どう回ったら一番効率的かというAIからの指示に沿って動き、効率化で生まれた時間に、お客様から声をかけられたらすぐ答えられる存在として店内を歩き回っている。
人が人に時間を使うために、AIによって効率化するという発想は、まさに目指すべき姿だと感じました。
―米国以外の事例はいかがですか。
インドの宝石店の話で、カメラとデータを活用して、お客様が店舗に入ってきた瞬間に、その人がロイヤル顧客かどうか、あるいは他の店舗でずっと商品を見ていたのに結局買わなかったかどうかが分かるという仕組みを導入しているという話がありました。それによって接客を変えていくということです。
日本のドラッグストアやスーパーにそのまま使える事例かというと少し違うかと思いますが、そこまでデータと店舗体験が結びついている事例がインドで起きているというのは驚きでした。

―展示会はどのような様子でしたか。
ブースエリアは、昨年よりも拡張され盛況でした。単なる展示会という感じではなく、小売様・メーカー様・広告テクノロジー企業が、これからの協業の形を探っている場という印象でしたね。
展示内容に関しては、AIを実際の小売業務の中にどう組み込むか。検索、接客、購買、広告、店舗業務、物流など、かなり幅広い領域でAIの活用が進んでいると感じました。特にAPACでは、市場の成熟度や商習慣が国ごとに違うので、海外の成功事例をそのままコピーするのではなく、その考え方をどう自社や自国の市場に合わせて翻訳するかが重要だと思います。
シンガポールの小売の現場を歩いて
―現地の店舗視察もされたとか。
FairPriceの店舗を中心にいくつか回りました。一番驚いたのは電子タグで、よく見ると三種類くらいあったんです。店舗のスタッフに聞いてみたら「第三世代まで出ていて、表示が少しずつ違う」という話でした。
一度導入して終わりではなく、店内でPDCAを回しながら進化させているということですよね。日本だと初期投資のハードルもあってなかなかできないことだと思うのですが、海外でそういうことを当たり前にやっているのは衝撃でした。
街中のセブンイレブンでも電子タグの導入が進んでいて、全般的に普及が広がっているという印象でした。
また、サイネージも至るところにあって、日本よりも当たり前になっている感じがしましたね。
棚の上にぶら下がっているサイネージがあり、価格と商品説明が表示されていて、遠くからでもどこに何があるか分かりやすい。紙に比べて見やすいし発光しているからきれいで、貼り替えの手間もない。シンプルに「いいな」と思いました。
日本だとあまり見ないタイプの縦型の小さなサイネージも印象的でした。国によって棚の特徴や商品の置き方が違うので、サイネージの形も変わるんでしょうね。

「テクノロジーが効率を担い、人間が価値と繋がりを創造する」
―最後に、今回のNRF APACを通じて一番持ち帰ったものを教えてください。
AIと人間の役割分担をどう設計するか、という問いの重要性です。
今回、会場全体を通じて感じたのは、「AIを導入するかしないか」という話は完全に終わっていて、「どこまで任せるか、どこに人間を残すか」という問いに変わっているということです。特に小売業では、効率だけでなく顧客との信頼関係や体験価値も重要なので、この設計がこれからの競争力の源泉になると思います。
日本の小売様は接客品質や現場力に強みがあるので、AIを単純な効率化の道具としてではなく、人間の価値を高め、顧客との繋がりを深めるための仕組みとして使うべきだという確信は、今回さらに深まりました。


