【前編】フェズの女性部長3人が明かす、“コンプレックスの塊”から自分らしいキャリアを築く方法

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【前編】フェズの女性部長3人が明かす、“コンプレックスの塊”から自分らしいキャリアを築く方法
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こんにちは。広報の真鍋です。

女性のキャリア構築や社会での活躍が益々期待されている今日この頃。
数十年前と比べれば、たしかに社会や企業の仕組みは整ってきたものの、若手女性メンバーからはまだまだ不安の声が聞こえてきます。

そこで今回は、フェズで部長職を務める女性3人(写真左:法務部長/池津亜理沙、写真右:プロダクト・戦略企画部長/山田梢、写真中央:広報部長/真鍋順子)のキャリア事例をご紹介。

私たちの事例で、性別を問わず悩める若手ビジネスパーソンに、ちょっとした気づきやパワーをお届けできれば幸いです。

前編では、新卒〜20代を振り返ります。

私たちの新卒時代。「こんなはずじゃ...」続きの1年目

真鍋:
お2人は新卒でリクルートに入られたんですよね?

山田:
はい。2006年に大学を卒業して入社しました。当時はまだ、働く女性の環境って「寿退社」とか「育児と仕事は両立できない」とか、そんな状況が一般的だったので、就職して数年で寿退社するなら早く成長出来る会社がいいなと思いリクルートを選びました。自分がやりたいと思ったことができて、活躍の道筋が見えたので。

池津:
私は、金融系のかっちりした会社で働こうと思って就活していたんですが、リクルートの人事の女性とお会いして「こういう人になりたい」と思えたこともあり入社を決めました。会社も仕事も好きで、プライベートも充実している印象で、自分がこうなりたいと思う働く女性像に近かったんです。

真鍋:
こうなりたい、と思える人に初めから出会えたのはラッキーでしたね!

私の場合、学生時代から報道の仕事がしたいと思っていたんですが夢破れ、他にコレと思える仕事がなかったので、“社会貢献軸”と“コミュニケーション軸”だけはブラさず就活しました。長く働くなら実家の近くでないと難しいなと思い、地元に戻り2000年に総合職で銀行に入りました。

お2人は、新卒時代どんな仕事に携わってました?

山田:
「ホットペッパーグルメ」の新規開拓営業で、当時渋谷エリアを担当していました。実際に現場に入ってみると、思い描いていた環境とはすいぶんギャップが大きくて(苦笑)最初の数年間は、定時で帰った記憶が殆どないほど忙しくて、目指すべきビジネスパーソンを見つける余裕すらありませんでした。

池津:
1年目は経理を担当していました。半年後に会社が分社化するため、会計システムの入れ替えが必要なタイミングだったこともあり、新システムの受け入れテストや業務フローの構築がしばらくはメインの業務でした。経理の知識もなかったし、毎日終電まで働くような忙しさで、入社前に抱いていたイメージとはだいぶ違いました。

真鍋:
お2人とも夜遅くまで働いていたんですね。私の場合、朝は早かったですが、締めさえ合えば残業はそれほどなかったです。

1年目はジョブローテーションで、預金・出納・融資といった部門をまわりながら業務を覚えました。他に、支店の掃除(トイレも)やお茶出し・コピー取り・電話対応といった庶務を全て新卒がやることになっていたので、日中は目まぐるしく働いていた記憶があります。ふとした時に、私何やってんだろう、、、と思うことは多々ありました(苦笑)

山田:
たしかに。これまで勉強してきたことを全く活かしきれていないと思う業務ってありましたよね。

真鍋:
ですよね!一見雑用に思える業務が、実は顧客満足度を大きく左右したりもするんですけど、初めはそんな風に思えませんでした。
それに、同じ総合職で入ったのに男性の同期と研修内容が違ったりもして、「このままでいいのか、私」とすごく焦ってました。土日にファイナンシャルプランナーの講座に通ったり、本を読みまくったり、とにかくもがいてましたね。


原動力はコンプレックス?!自分が見えてきた20代半ば

池津:
2年目に法務に異動になって、ようやく自分に合っている仕事だと思えました。ただ、よく言えば責任感が強いというか、任された仕事はすべて一人でやり切らなければならないと思い込んで自分で仕事を抱え込んでしまう悪い癖があって。

ある時、提携契約書を翌日事業部に提出することになっているのに、初めてのことで何をどうしたらいいか分からず夜中にパニックで泣きながら契約書を作っていたら、当時の女性の法務部長が席にやってきて「新人なんだから出来なくて当たり前。もっとまわりを上手く使うのも仕事だよ!一緒に片付けてしまおう!」と声をかけてくれたんです。

その時に初めて、自己満足で仕事を抱え込むのは良くない、上手く頼ることも大切なんだと気付いて、自分の中で1つ壁を乗り越えられた感じがしました。

真鍋:
私は、証券会社へ転職して営業をしていました。セールストークのコツを掴むと数字も上がって面白いんですが、どうしても苦戦する商品って出てくるんですよね。なぜ今この商品を出すんだろうとか、この商品誰向けなんだろうとか、営業をする中でマーケティングに興味がわいてきて。

ちょうど、支店でお客様向けセミナーの講師をさせてもらう機会もあり、仕事の幅が広がったことで自分のやりたいことが見えてきた感覚がありました。

山田:
自分に合った仕事、やりたい仕事に出合えたのはうらやましいですね。

ホットペッパーの営業では、効率よく数字を上げるための行動計画が分単位で決まっていたんです。私、真面目なのでちゃんと守っていたんですよ。でも、ある一定のところで成績が止まってしまって。やっぱり、人に決められた目標って馬力が出ないんですよね。自分の目標は自分が決める、自分で納得できる働き方じゃないと頑張れないと気付きました。

真鍋:
たしかに。やらされている感があるときって、仕事が労働に思えて頑張れないですよね。

山田:
20代半ばの頃は、まわりの人はアレもできるしコレもできるのに、自分はできないからダメなんじゃないかとコンプレックスがあったんです。今思えば、1人の人が全部できていたわけではないんですけど。

池津:
私も、先輩はここまでできるのに、自分はできないと焦って、自分を追い込んで爆発してしまう感じでした。働くモチベーションというより、コンプレックスを解消するために奮闘していたような気がします。


重たくなる責任。プレッシャーの中で一皮むけた20代後半

真鍋:
20代後半、印象に残っていることは?

山田:
入社7年目、29歳の時に50名規模のグループのマネージャーを任されたんです。それまでにも、チームリーダーの経験はあったんですが、そのグループは規模が大きく業績が芳しくなかったので、人の入れ替わりもものすごく多い。もはや何がダメで良いのかすら判断できないカオス状態で、営業目標に対して営業戦略はおろか、方針すらまともに示せていない状況でした。

そんな状態ですからお客様からのクレームも多くて、初めはクレーム対応をしていた時、“自分のせいじゃない”という気持ちがあったんです。部長に相談したら、最初は優しく聴いてくれていたんですけど、ある時「解決する気がないなら、そこにいる資格がない」と言われ、やる前からできないと決めてしまっていた自分に気付きました

それ以降、現場でいろんな問題、100%こちらが悪い状況に置かれても、自分で何とかする。どうやってお客様との信頼関係を取り戻すのか、責任の持ち方を学びましたね。

池津・真鍋:
カッコいいですね!

池津:
私は、入社4年目に人材領域から住宅領域の主担当に変わりました。企業法務に携わる中で、徐々に責任を持たせてもらえる立場になり、法律の知識を増やすだけではなく、事業理解を深めて事業を成長させることが大切だと気付きました。自分事として仕事と向き合えるようになって、軸が定まってきたことで、仕事が楽しくなってきた時期でしたね。

加えて、新卒の教育担当になったんです。その子が事業会社の人に頼られる存在になれるように、知識だけではなく、自分が大切にしているスタンスやマインドなども伝えました。結果、その子が社内表彰されたのは嬉しかったです。自分の大切にしてきたことが正しかったんだと思えた瞬間でした。

真鍋:
それは、自分が表彰されるより嬉しいですね!
私は証券会社の後、マーケティングを学びに留学して、帰国してから金融×マーケという軸でIRコンサル会社に入りました。ちょうどIT企業のIPOが盛んな時期で、ユニークなスタートアップや起業家にたくさん出会うことができ、「これからの日本を変えていくのは、この方たちなんだなぁ」とワクワクしたのを覚えています。

また、証券アナリストやファンドマネージャーの方々にクライアント企業の評価について取材(パーセプションスタディ)するなど、人脈や仕事の幅が一気に広がっていきました。
27歳くらいのときに、初めて自分のチームを持たせてもらったのも印象に残っています。メンバーがほぼ年上という構成だったので、もう頑張りを見せるしかないというか、上手く頼るしかないというか。いい学びになりましたね。


(後編へ続く)